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STEP9:撮影が終わったら、あとは何も残らない…

社会人になってからも、中村編集長の事務所には欠かさず顔を出していた。

俺も結構古株となり、複数のパーティーの司会をするようになっていた。
司会者は、一人一人のお客さんの世話をしなければならない。場が盛り上がっているかどうか、常に気にしなければならない。
そして、全員公平に接しなければならない。誰とでもすぐに和やかに話せなければならない。

navy&ivoryと知り合ってから、俺の映画に素敵な主題歌が入るようになった。

ところがまたまた新たな思いが頭をよぎる。映画には主題歌以外にも音楽が必要なのだ。
BGMが必要だな、と気付いた瞬間だった。
俺の映画の知識はそんな程度だったのである。

パーティーの司会をしながら、俺は毎月知り合いを増やしていった。
お客さんと接しながら、同時にさりげなく自分の映画の宣伝も忘れない。

ある時、映画の話にしっかりと食い付いてきた男がいた。歯科医になる勉強をしながら音楽をやってるんです、と彼は言った。
「ぽんたと呼んで下さい。」
俺は次回作の話をその場で始めていた。

この頃から自分の映画が忙しくなり、中村編集長のところから知らず知らずのうちに足が遠のいていく。

今まで使ってきたビデオカメラが壊れたのを機に、デジタルビデオカメラを導入した。
さらに数カ月後、コンピュータも購入。
世の中は、PCで映像編集、という時代に確実に代わりつつあった。

この頃初めて、【カルフのように】という名称を使った。
そして、本を見ながらゴールデンウィークの3日間を使ってホームページを作った。
団体を作りたい、という明確な意図があったわけではない。
ただ関わってくれた人たちに、俺一人の映画だと思って欲しくなかったのだ。

それまでは『オリカワ監督の映画』としか言い様がなかった。しかし団体名があれば、映画は『カルフの作品』となる。
そして、「俺は、私は、カルフに関わってるよ」と言える。

しかしそう簡単には物事は運ばない。誰の口からも「オリさんの映画」「監督の作品」という言葉が出てくる。
【カルフ】という箱は、なかなか浸透しなかった。
俺自身、自分で考えたその言葉を口にするのが、少し恥ずかしかったのだ。

人をまとめることについて、俺はよく悩んでいた。

パーティーを何年も仕切ってきて、かつ映画も何本も作ってきたので、自分が中心になって人を集めたり撮影を進めたりすることはできるようになった。
でも何かモノ足らない。

それまで、<俺→Aさん><俺→Bさん><俺→Cさん>・・・というだけの集まりだった。
つまり俺という『一点』を中心につながっているだけ。

俺が抜ければ、あっという間にくずれさってしまうもろい集まりだったのだ。

もちろんメンバーを固定するつもりはなかったが、ひと作品がクランクアップする度にあっさりみんなが去っていく。
何も残らない。

俺以外の、せっかく集めた人たちの横のつながりを作らねば、と考えた。
俺に頼まれたから来る、そんな雰囲気にはしたくない。
来たら楽しめる、楽しんだら次を考える。そんな環境を作りたい。
来てくれた人に、火をつけたい。

社会人2年目になっていた。

そして、さらなる問題が俺の前に立ちはだかっていた。
それは、時間がないこと。

夜は帰りが早くても11時、という生活が続いていた。どうしても疲れて寝てしまう。寝る前に一切作業ができない。
しかしこの頃はもう、俺の中に「映画をあきらめる」という選択肢はまったく消え去っていた。

考えた末、朝早起きをすることにした。

出勤時間の1時間前に会社のそばの喫茶店に行き、そこで映画について作業をする。
最初はつらかったが、習慣付けてしまえばなんとかなるものである。これは今だに続いている。

・・・ってかっこうつけて書いたが、正直に言ってしまうと、彼女と毎晩長電話したかったから、だけなのだが。

その頃、世の中にはEメールというものがまんべんなく行き渡り始めていた。
それらは、時間がないことを補ってくれるように、俺には思えた。

しかしそれは落とし穴だった。

メールだけでリーダーシップは発揮できない。文字だけで人は動かせない。

しかもメールによる指示出しは、言い争いに発展することも多かった。表現が誤解を生み、意志が完璧に伝わらないのだ。

そういうことに気付いたのはしかし、その作品がクランクアップしてからだった。


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STEP10:味方がいる限り…
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