ホーム映画制作講座組織の作り方カルフの作り方 > カルフの作り方7

STEP7:人を集めること。人をまとめること

その頃、俺はまた舞台に足を突っ込んでいた。

中村編集長の事務所によく出入りしていた元気のいい女性がいて、彼女にひょいとスカウトされ、そのまま彼女と一緒に劇団を立ち上げてしまったのだ。
2人で名刺を作ったりチラシを刷ったりしながら準備を進めていく。
俺は、準主役でもあった。久しぶりの役者業である。わくわくした。

そのリーダーの女性と一緒にオーディションもした。

彼女の地元の公民館に、興味ある人を呼ぶ。主役は最後にオーディションをした。
男性が現れ、彼は、山本冬樹、と名乗った。
のちに、カルフの作品すべてに出演することになる冬樹さん(現・毛利玄さん)との出会いだった。

その舞台の中で、冬樹さん(以降、毛利さんと表記)と俺のやり取りが大半を占めるため、俺たちは稽古のない日もよく会った。

2人の住んでいる駅の中間地点が小田急線の登戸駅で、そこをいつも利用した。
劇中にギターで歌う場面があり、そのため2人ともギターをかかえていた。毛利さんにギターを教えてもらうためだ。

登戸駅から歩いて数分のところに多摩川が流れている。会うといつも、そこの土手に腰掛けた。
季節は11月。素手でスチール弦をはじくには、ちょっとつらい季節になっていた。

俺は就職が決まっていたものの、これからどうしていくのかよく分からないでいた。
ずっと、早く社会人になりたかったのに、皮肉にも学生が終わりかけていたその時、俺のまわりは面白そうな方向に動き出していたのだ。
毛利さんは元々やり手の営業マンだった人で、社会人を10年やった頃、映画に出会ってしまった。
一発でその世界に引き込まれ、30歳を過ぎてから役者を目指した。
その頃『バウンス ko GALS』や『金融腐食列島・呪縛』といった作品にも端役ではあるが出演していた。
舞台で出会ったものの、2人の共通点は映像だったのだ。

自分のやりたいことに正直に生きてきた毛利さんは、悩んでる俺にアドバイスをくれた。

「オリさんの中に少しでもやりたい、って気持ちがあるなら、それはやっぱり止めるべきじゃないよ。」  
 彼は俺に、映画作りたい?って聞いた。俺は答えた。
「ええ。作りたいです。」

稽古が始まった。
主宰の女性は台本や演出に専念し、俺は劇団員の連絡やフォローにまわった。

しかし、間もなく不協和音が聞こえてきた。

最初は毛利さんからだった。彼女とは合わない、と俺にぼそっと言った。
それでもしばらくは稽古が続いた。

その日も俺は稽古場に行った。準備があるので、いつも俺が一番乗りだった。
やって来た主宰女性に、俺は頼まれていたことの報告をした。ある財団に連絡し、助成金をお願いする件だった。

俺がどんなことを話したかを伝えた途端に、彼女はキレた。

「そんな言い方じゃお金なんてもらえるわけないじゃない!!」
「言い方が分からないから聞いたら、任せる、好きなようにやりなさい、って言ったでしょう。だから僕なりに考えて・・・」
「そんなの常識で分かるでしょ!あーもうダメだ!絶対補助なんてもらえないわよ!全部あんたのせいよ!!」

俺への非難が始まった。頭の右後ろの辺りがカッと熱くなった。

「俺がどんだけ一生懸命やってるか、あなたは知らないでしょう!俺がどんだけあなたに我慢してるか、分かってんですか!!」
俺は自分の怒鳴り声にびっくりしながらも、彼女をにらみつけた。

数日後、俺は彼女に個人的に呼び出された。

「このメンバー、解散します。あなたたちとはもうやってられません!」

トップの人間が情熱的であれば、人は集まる。
しかし、それだけでは人はまとまらない。

俺は、この事件を反面教師だと思うことにした。
自分は絶対、あんなことはしないぞ、と強く思った。

しかし俺もそんなに強い人間ではない。
それを知るのは、それから数年後のことだった。


>>次
STEP08:傷付いて学んでいく
© Since 2001 映画工房カルフのように All Rights Reserved.