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STEP03:人脈は、人脈のある人と知り合うことで広がる

六本木駅に着いたものの、何が何だか分からない。
もともと方向音痴な上に、地下鉄というもののない広島の出身。建物などの目印がない地下道は、俺にとって迷路に等しい。

携帯も通じず、散々迷った末にようやくパーティー会場に到着した。
中村編集長の姿を見かけホッとしたが、彼女は忙しそうにいろんな人に挨拶をしている。俺は隅の方で小さくなった。

「ごめんねー!」  

パーティーの参加者がひと通りはけた頃、中村編集長が話しかけてきた。
「どっか喫茶店に入ろっか。」

店に2人で席を落ち着けると、俺はカバンからイラストの束を取り出した。
それらを一枚一枚めくりながら見せると、編集長は満足そうにうなづいた。
「実はね、今度私、今の会社から独立するの。」  

今の会社というのは、例のパーティーを毎週やっているところである。編集長は仲間を集めて、新しい雑誌を創刊するのだと言った。
よく分からんが、すごいことだ、と俺は思った。
「でね、ほんのちょっぴりしかお礼は払えないんだけどね、その雑誌にイラストを描いてほしいのよ。」

中村編集長は、中央線ぞいの街に小さな事務所をかまえた。
そこにはデザイナーさんが一人いるだけで、後は俺のようなたくさんのボランティアが出入りしていた。 ボランティアの多くは社会人だったので、学生だった俺が一番時間があった。

最初はイラストを描くだけだったが、やがて文章も一部任されるようになる。編集部が主催するパーティーのアシスタントもやるようになった。
編集長からはとにかくいろんなことを頼まれ、俺は黙々とそれらをこなした。

ある時、スイスの大使館員と日本人女性起業家の対談の通訳を頼まれた。
通訳なんて…と思ったが、大丈夫大丈夫、という編集長の言葉にまどわされ、引き受けてしまった。

余談だが、今の俺の強引さはこの中村編集長ゆずりだとつくづく思う。彼女も俺も血液型はB型。口癖は、『大丈夫大丈夫!』。

この通訳、なんとかなったのだが、やはり俺は日本人。スイス大使館員の話す英語を日本語に訳す時は雄弁に、起業家の話す日本語を英語にする時はびっくりするくらい簡潔で単純な文章に訳されていった。

しかしこの通訳をやってから、また俺の英語熱に火がついた。
英字新聞を取り始め、すぐに予想どおり読まずに積まれていったのだがある時、その新聞の広告欄に目が止まった。

『関東の大学生による、英語演劇。オーディション開催!』

俺はドキドキした。
面白そう!!

東急東横線には初めて乗った。
渋谷から数個目の駅で降り、そのオーディション会場に向かった。

建物に入るとみんなが「ハロー」「ハロー」と微笑みかけてきた。俺もとまどいながら「ハロー」と言った。
オーディション室に入ったものの、俺の頭の中は真っ白だった。演出家らしい女性に言われるがままに英語で受け答えをした。

「では歌の準備お願いします。」

彼女の言葉に耳を疑う。歌を歌うなんて聞いてないよ。しかも英語の歌だなんて。
俺は仕方なく唯一知っている歌を歌った。

次に踊ってくれ、と言う。演出家の横のピアノの前に座ってた女の子が弾き始めた。
俺は仕方なく、体を動かした。4人がじっと俺を見つめている。

恥ずかしくて恥ずかしくて、俺は目から耳から鼻から口から火を吹いた。


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