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STEP10:味方がいる限り…

撮影中、日頃時間がないいら立ちが表に出過ぎ、俺はいつもしかめっ面で怒鳴っていた気がする。

人がどんどん集まってきて、できることが大きくなっていくことが当たり前だと思っていた気もする。
その結果、撮影後の飲み会の度に、一部のスタッフたちに繰り返し非難された。
俺は、売り言葉に買い言葉で、感情的に応戦した。

横のつながりを作るために催していた飲み会が、否定的な人たちを結束させるという、悪い方向に動いてしまったのだった。

頭のどこかで彼らの言い分を認めていながら、俺は、声を荒立てながら自己弁護をした。
いつかの、仲間と喧嘩ばかりする女性演出家と一緒じゃないか、と思った。
思っても、何をどうすればいいのか分からなかった。

その次の作品が始まった時もまだ、前作のスタッフたちとのわだかまりが後を引いていて、俺はなるべくそれのスタッフには声をかけないようにした。

問題解決から逃げたのだ。

映画を止めればよかったのかもしれない。一旦冷却機間を置けばよかったのかもしれない。
でも俺は次のプロジェクトをスタートさせた。
またゼロからやることで、新しい展開を期待していた。

それでも何人かは知り合いに声をかけなければならない。俺は恐る恐るメールを書いた。
電話で話す勇気はなかった。

お前なんかとはやりたくない、と嫌味メールが来るか、無視されるかどっちかだろうと覚悟していた。

前作の時スタッフの紹介で知り合い、スチール兼ビデオ撮影をお願いしたboopinさんからメールが来た。
「また呼んでもらえてうれしいです。ありがとうございます。」

こちらこそありがとうございます、と思った。
あんな俺を、この人は許してくれるのか、としみじみ感動していた。
俺はもうむやみに怒鳴らない、と心に誓った。
そして、少しでも味方がいる限り、集まってくれた人を裏切ることはできない、と思った。

今回はなるべくスタッフ一人一人がしっかりと独立した役割を持ってもらうようにしよう、と考えた。
そうすれば、作品への愛着がもっともっと濃くなるだろうと。

俺は初めて、脚本や絵コンテができていない状態からミーティングをした。
初めて、助監督という役割をきっちりと最初から付けた。監督の女房役として、スケジュール管理から連絡まで最初にお願いした。
最初のミーティングをした時、どんな映画を作るのかもはっきりしていない場で、俺の采配はとても貧弱に見えたに違いない。
ネットで知り合い、初めて参加してくれた人はその夜、「これから忙しくなるので、やっぱり参加できません」とメールを送ってきた。

自信のなさは別のところにも影響を及ぼす。

プロの役者が顔を揃え、俺はどうやって演出したらいいか、完全に見失っていた。
役者との心の距離の取り方がうまく行かなかった。
どうしたらいいどうしたらしいどうしたらいいどうしたらいい・・・。

愚痴を言う相手もいない。
アドバイスももらえない。

必死に両手でかき集めるのに、指の間からどんどんすり抜けていく。
そんな気分を味わう日々が続いた。
俺の映画人生で初めて、半年近く、何もしなかった。

何も、できなかった。

ある時、西山と言う高校時代に一緒によく悪さをしていた友人からカルフのサイトの掲示板に書き込みがあった。
自分の名前をふざけて検索したら、お前のホームページに行きついたぞ、と。

彼とは、俺が一人で映画を作ってもらっている時に一度だけ映画制作を手伝ってもらっていた。その作品紹介をサイトに掲載していたのだ。
俺たちは高校を出てからは、毎年数回、一緒に映画を見に行くだけの関係だった。
そして、映画作りのことは彼には話していなかった。

西山は100%体育会系の人間で、映画制作という活動とはまったく無縁な気がしていたのだ。
が、その時たまたま撮影で人手が足らなかった。
こいつ、映画作りに興味あるだろうか。 試してみるか、と思った。

以来、彼はずっとカルフを、俺を、裏から支えてくれている。

俺が指示を出し彼がまとめる。
車輪はうまく機能した。
相棒は、こんな身近にいたのだった。

やっと、ほんとにやっと、核ができたのだ。


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