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最終話:さらばリニア編集

就職した。
映画から自分が引きはがされるのか、それとも離れなければならないのか、全く分からなかった。
入社して1ヶ月目、上司がぽんと肩を叩いた。
手渡されたのはよく分からない紙切れだった。
それが給与明細だと気付くのに、少し時間がかかった。  

 初給料で買うものはすでに決めてあった。今の俺にとって命の次に大事なもの。存在意義。
それを買ったら、親戚中からもらった入社祝いも含めて、あっと言う間に預金通帳の残高はゼロに近くなった。
それでもよかったのだ、俺は。

 俺の部署には同期が俺の他に2人いた。ある時部長が俺ら3人を呼んで仕事の話をする際、ふと聞いた。
「そう言えば君ら、初めて給料もらったろ。何に使ったの?」
俺はまっさきに答えた。
「ディジタルビデオカメラ買ったんです。大学の頃からずっと欲しくて!」
部長はにっこりして俺の隣の同期を見た。彼は答えた。
「親を温泉旅行に招待しました。」
もう一人も涼しい顔をして言った。
「僕は親戚中に花束を送りました。」  

 その年の夏、俺たちは新宿の南口にくり出した。
俺はカメラをうやうやしく取り出し、ファインダーを覗いた。そしてその鮮明さに驚いた。
「すげーきれーだ!」
ファインダーの向こうでは、そう言われた女優がどうしていいのか分からない顔をして立っていた。

 やがて俺は秋葉原で最新型のパソコンを買い、新しい編集の歴史が始まる。
そして俺は、リニア編集に別れを告げた。

「リニア編集」ってコトバを聞くと、どうしようもなく無骨で、生きるすべてが実験のようだった日々を思い出す。

当時のビデオデッキは、我が家でまだ現役で活躍している。

おわり


最後までお読み頂き、ありがとうございました。
僕は、この本に触発されて、この物語(講座)を書きました。
楽しんでいただけた方には、かなりのお勧めです。

この本の著者、小林政広監督の名前をテレビで聞いた時、僕は「あ」と声をあげました。
監督は、『バッシング』という映画でカンヌで賞をとりました。
この本は監督の自伝的小説であり、彼が若い頃仲間に囲まれながら映画を撮ることを夢見ていた青春時代を描いています。
社会人になり、仕事に悩んでいた僕は、一気に読みきり、そして勇気がわいてくるのを感じました。

だからこそ、それまでほぼ無名だった監督が、カンヌで賞を取ったことを聞いた時、なんだか身体の芯のあたりがぼわっと熱くなったのでした。



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