ネットで人を集めるということ
〜第二回 記念すべき第一号
監修:工房の主人

問い合わせフォームの項目って、最初から、まったく変えてません。
ま、別に深い意味はないんですけどね。

それで、ホームページ立ち上げて半年後のある日、そのフォームから一通のメールが届いたのです。
迷惑メールではなく、見ず知らずの個人からメールをもらったのは、人生で初ではなかったでしょうか。

うれしかった、というより、驚きましたね。

相手の情報は、メールアドレスの他には年齢とか性別、住んでるのが関東、映画に興味ある、ということだけ。
これを元に、返信文を早速書きました。
カルフとはどんな団体なのか、そもそも僕はどんなこと考えて映画を始めたのか、などなど長々と書きました。

とりとめがなかったかもしれませんね。
そう言えば高校時代、手紙をやりとりしてた女の子がいて、「返事の手紙が長過ぎる」と言われたことがあります(苦笑)。

今では、メールをいただいたら、質問があれば答えて、あとはカルフについて詳しく自己紹介して返信します。
で、その返信メールを読んでさらに興味ある人は会って話しましょう、と話を進めています。

しかしこの頃は、一体この女性に対して何をしたらいいものやらまったく考えの準備がなかったわけです。
会っても何を話すの?
参加したい、と言われても、何に参加してもらうの?今は何も作ってないよ。


というわけで、「何か制作することになったらご連絡します」とメールを締めくくりました。
うまい具合に、その1ヶ月後、カルフではカメラマンboopinさんによる、映画撮影風景の写真展を行うことになっていました。
来ませんか?とメールをすると、伺います、と返事が来ました。

写真展当日。
僕は落ち着かずおろおろしていました。
ネットで応募する側も勇気がいりますが、応募を受け付けるこっちも、やはり同様に緊張するわけです。

待ち疲れて、もういいや、と裏で食事をしていると、スタッフの女の子が呼びに来ました。
「主宰の人に会いたいって」

彼女はその後、ワークショップも参加してもらい、カルフ制作映画にもスタッフとして加わってもらいました。
今も、連絡を取り合っています。
彼女が、カルフとネットがつながった、第一号でした。



その後、1週間に1通づつコンスタントにメールが来出しました。
なんだなんだなんだ…と僕は慌てました。

関東だけじゃありません。
沖縄からミュージシャン希望者が、新潟の学生が、大阪の自主映画の監督さんが、広島の主婦が…

戸惑いつつも、一通一通メールを書きました。
関東の人には、「何か制作することになったらご連絡します」、
他の地域の人には、「カルフは関東で活動しているので、ごめんなさい」と書いて。

実際、カルフ制作の映画に関わってもらった人もいっぱいいます。
しかし映画は年がら年中作っている訳じゃありません。
というより、作っていない時期がほとんど。

1年がすぎた頃、これじゃいかんだろう、と思いました。
募集しておきながら、ほとんどの人に「何かあったらね」と返事するだけ。

で、あることを思いつきました。
それが無謀なことだとも気づかずに……



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