■提案:工房の主人
知り合いの子の話です。
彼女が知り合ったばかりの、映画の個人作家が「上映会をやる」というからついていくと、そこは彼の部屋。
しばらく気まずい中で二人きりで話などをしていたけれど、全然誰も来る気配がない。
やがて
「じゃ・・・」
と監督さんが言って、2人だけの上映会が始まったそうです。
しばらくその”映画”を見て、その子は帰ってきたそうです。
しんどかった、そうです。
まあ、襲われなかっただけ、良しとしますかね。
僕も昔、金を払って、知らない監督の家で2人きりで映画を見た事があります。
しかも映画がまた、くだらない。
うーん、拷問でした。
これ、笑ってるあなた。
例えばこれを、家庭用ビデオカメラで撮った旅行のビデオ、子供のビデオと置き換えると、意外によくある状況ってのは分かるかと思います。
写真でも、数が多ければ一緒かもしれません。
今回は、”作り手”への提案。
自分の子供の運動会の映像は、きっと親にとっては隅々まで愛おしいものなんでしょう。
そして、自分達で生み出した作品は、やはり僕にとっては思い出がいっぱい。
古い〜アルバムの中に〜♪ってもんです。
でも、それがそのまま第三者にとっていいものとは限らない。
上映する側は、それを見せるべきなのかどうかという、客観性を持ってほしい。
どうしても見せたければ、相手に”逃げ場”を作らないといけない。
・・・うん、自分で書いてて耳が痛い。
まあね、僕も映画を作り始めたばかりの頃、友だちを呼んで一人で作った作品を部屋で見せてました。
映画が始まります。
みんな黙って鑑賞。
・・・
映画終了。
・・・
友人「明日のレポートやった?」
おい!
映画に対してのコメントは!!
結局、誰もが通っていく道。
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